Jmailは、
記憶だけでなく、
紙面にも残っていました。

Jmailと、その前にあったIAC、Japan.co.jp、日本の初期インターネット事業は、 当時の新聞や雑誌にも記録されていました。

このページは、Jmailをただ懐かしむためではなく、 当時どのように見られ、どのように語られ、どのように誤解され、 どのように期待されたのかを残すための資料室です。

記事は、勝利の証拠ではありません。時代の証言です。

起業家は、新聞や雑誌に載ると、それを成功の証拠のように扱いたくなります。 しかし、Jmail.co.jpでは、当時の記事をそのようには扱いません。

記事は、時代の証言です。 その時、世の中が何を新しいと思ったのか。 何を危ういと思ったのか。 どこに期待し、どこに疑いを持ったのか。 その空気が、紙面には残ります。

Jmailの物語には、明るい記事もあります。 批判的な記事もあります。 Jmailそのものを取り上げた記事もあれば、Jmail以前のIACやJapan.co.jpを扱った記事もあります。

記事は、都合のよい部分だけを飾るためではなく、
何が起きていたのかを確かめるために残します。

Jmail

無料メールとしての記事

Jmailは、無料バイリンガル・ウェブメールとして取り上げられました。 特に、@hollywood.co.jp や @yokozuna.co.jp などを選べる点が注目されました。

IAC

Jmail以前の記録

Jmailの前には、IACによる日本の初期インターネット、BBS、検索、広告、PPP接続の物語がありました。

Press Thrashing

批判も歴史です

BusinessWeekの記事と、その後の「How to Survive a Press Thrashing」も、 Jmailが生まれる前の重要な背景です。

Jmailが、無料ウェブメールとして紙面に現れた時。

Jmailにとって、もっとも直接的な資料は、1998年の Asahi Evening News と The Daily Yomiuri の記事です。 ここには、Jmailがどのようなサービスとして世に説明されていたのかが残っています。

それは、単に「無料メール」ではありませんでした。 利用者が複数の .co.jp ドメインから、自分らしいメールアドレスを選べる。 その点が、当時の記事でも強く扱われました。

1998年7月6日 Asahi Evening News のJmail記事スキャン
1998年7月6日 Asahi Evening News。Jmailを、@hollywood.co.jp や @yokozuna.co.jp などを選べる無料ウェブメールとして紹介した記事。
1998年2月3日 The Daily Yomiuri のJmail記事スキャン
1998年2月3日 The Daily Yomiuri。IACが新しいウェブベースのメールサービス「Jmail」に注力すると報じた記事。

「Hollywoodの住所がほしいですか?」という問い。

Asahi Evening Newsの記事は、Jmailの本質をとてもよく捉えています。 それは、メールアドレスをただの連絡先ではなく、少し楽しい住所に変えるという発想でした。

@hollywood.co.jp を選べば、Hollywoodの住所を持つ気分になる。 @yokozuna.co.jp を選べば、横綱の称号をメールアドレスにできる。 そのような表現は、Jmailが機能だけでなく、言葉の遊びと自己表現を提供していたことを示しています。

Jmailは、メールアドレスを「使うもの」から、
「選ぶもの」に変えようとしました。

ここに、Jmailの明るい部分があります。 同時に、この明るさが多くの利用者を呼んだからこそ、 後に守りきれなかった責任も重くなりました。

Hotmailのように、どのコンピューターからでも読めるメール。

The Daily Yomiuriの記事では、JmailがHotmailに似たウェブベースのメールサービスとして紹介されています。 当時、ブラウザでメールを読むという体験は、まだ新しいものでした。

会社のパソコン、自宅のパソコン、学校のパソコン、旅先の端末。 どこからでもメールを読むことができる。 その自由は、現在では当たり前ですが、当時はとても大きな変化でした。

Jmailは、そのウェブメールの自由に、日本語対応と .co.jp ドメインの自己表現を重ねようとしました。

Jmailは、突然出てきたサービスではありませんでした。

Jmailの前には、IACとJapan.co.jpの長い挑戦がありました。 BBS、広告、検索、電子メール、ニュース配信、PPP接続。 そのどれもが、日本のインターネットがまだ一般的ではなかった時代の実験でした。

当時のメディアは、Bradley L. BartzとIACを、 日本のサイバースペースを早くから見ていた外国人起業家として取り上げています。 Jmailは、その後に生まれた「Phoenix」でした。

1996年 Wall Street Journal のBradley L. Bartz関連記事スキャン
Wall Street Journal。日本で外国人起業家がスタートアップを作る時代の文脈で、Bradley L. Bartzを取り上げた記事。
1997年12月21日 The Japan Times のIAC記事スキャン
1997年12月21日 The Japan Times。IACのインターネット接続とメールサービスについて紹介した記事。
1993年 ACCJ Journal のMETABOOK記事スキャン
1993年 ACCJ Journal。METABOOK、検索、広告、情報流通に関する初期の記録。

「日本のサイバースペース」を早く見た人間として。

Wall Street Journalの記事は、Jmail以前のBradley L. BartzとIACを理解するうえで重要です。 そこには、日本で外国人起業家がスタートアップを作る文脈があり、 日本のインターネットがまだ一般化する前に、BBSや広告付きオンラインサービスへ向かった姿が残ります。

これは、Jmailの直接の記事ではありません。 しかし、Jmailが生まれる前に何があったのかを示す重要な背景です。 Jmailは、失敗のあとに突然現れたアイデアではなく、 それ以前から続いていた「日本のインターネットに何かを作る」という流れの中にありました。

「Japan's No. 1 address」という言葉。

The Japan Timesの記事には、IACが東京、横浜、大阪でインターネットとメールサービスを提供していた時代の声が残ります。 そこにある「Japan's No. 1 address」という表現は、後のJmailにもつながる思想を感じさせます。

インターネットにおいて、住所は重要でした。 URLも、メールアドレスも、ドメイン名も、単なる技術的な文字列ではありません。 それは、信頼であり、入口であり、名刺であり、ブランドでした。

Jmailは、その「住所」の感覚を個人のメールアドレスへ広げようとしたサービスでした。

BusinessWeekと「How to Survive a Press Thrashing」。

Jmailの背景には、BusinessWeekの記事と、その後の反撃として語られた 「How to Survive a Press Thrashing」があります。

スタートアップにとって、メディアは追い風にも向かい風にもなります。 良い記事は信用を作ります。 批判的な記事は、資金調達、取引先、採用、社内の士気に影響します。

Jmailが「Phoenix」として生まれたのは、このようなメディア環境と事業崩壊のあとでした。 つまり、Jmailは単なる新サービスではなく、傷ついた物語からの再起でもありました。

1995年4月3日 BusinessWeek のIAC関連記事スキャン
1995年4月3日 BusinessWeek。IACの広告付きオンラインサービスとインターネット接続に関する記事。
1997年9月1日 BusinessWeek のSharing Prosperity記事スキャン
1997年9月1日 BusinessWeek。Jmail誕生前の重要な背景となる記事。
1998年1月 FCC Communicator のHow to Survive a Press Thrashing記事スキャン
1998年1月 FCC Communicator。「How to Survive a Press Thrashing」の講演告知・記事。

無料メール、Coca-Cola広告、そして日本語非対応という課題。

1995年のBusinessWeek記事には、IACが無料メールサービスを広告付きで提供していた時代の記録があります。 Coca-Cola広告、オンライン広告、PPP接続。 そこには、Jmail以前から無料メールと広告モデルに挑戦していた流れが見えます。

一方で、日本語に対応していないという課題も残っていました。 これは後のJmailにとって重要です。 Jmailは、日本語メールとウェブメール、そして複数 .co.jp ドメインによるアイデンティティを組み合わせることで、 以前の課題を越えようとしたサービスでした。

Jmailは、突然の発明ではなく、
以前から続いていた無料メール実験の続編でもありました。

報道は、会社を助けることも、壊すこともあります。

1997年のBusinessWeek記事は、IACとBradley L. Bartzの物語にとって重い意味を持ちます。 記事の扱われ方、そこから生まれた反応、そして事業への影響は、 Jmailが生まれる前の心理的・事業的な背景になりました。

Jmail.co.jpでは、この出来事を単なる恨みや武勇伝として扱いません。 それは、メディアとスタートアップの関係、評判の重さ、 そして「再起」がなぜ必要だったのかを考えるための資料です。

JmailがPhoenixと呼ばれる理由は、ここにもあります。 焼け跡がなければ、Phoenixという言葉は出てきません。

Press Thrashingを、語る側に回る。

1998年1月のFCC Communicatorは、 BusinessWeekの記事を受けてBradley L. Bartzが語る 「How to Survive a Press Thrashing」を紹介しています。

これは、Jmail誕生直前の重要な記録です。 事業は傷ついていました。 しかし、沈黙するのではなく、語る。 叩かれた経験を講演に変える。 その姿勢が、Jmailの再起にもつながっていきます。

叩かれたあとに沈黙するのではなく、
叩かれた経験を次の物語に変える。

記事に残った成功より、利用者に残した責任を忘れません。

新聞や雑誌に取り上げられたことは、当時のJmailとIACにとって大きな出来事でした。 しかし、記事に載ることと、利用者を最後まで守ることは違います。

Jmailは多くの方に知っていただき、使っていただきました。 そのことに深く感謝しています。

そして、最後まで十分に守りきれなかったことを、心からお詫びします。

Bradley L. Bartz Jmail.co.jp 創業者 Internet Access Center K.K.

press.html は、証拠室であり、反省室でもあります。

Jmail.co.jpにとって、press.html は単なるメディア掲載一覧ではありません。 ここは、JmailとIACがどう見られていたのかを確認する場所です。

期待されたこと。 誤解されたこと。 批判されたこと。 誇らしかったこと。 そして、今読み返すと痛いこと。

それらを一緒に置くことで、Jmailの歴史は少しだけ正直になります。

記事は、飾るためだけではなく、
自分たちの過去から逃げないためにもあります。

この背景にある本

JmailとIACの背景は、『Japan.co.jp — Hardhat Required』に記録されています。

本の第16章「The Jmail Phoenix」には、 Jmailがどのように生まれ、なぜ無料メールサービスとして広がったのかが記されています。 この press.html は、その背景を新聞・雑誌資料から補うページです。

ただし、このサイトの中心は、メディア掲載の誇りではありません。 Jmailを使ってくださった皆さまへの謝罪と、記憶の保存です。

起業の物語を読む
Bradley Lawrence Bartz 著『Japan.co.jp — Hardhat Required』表紙

章の解説

The Jmail Phoenix

Jmailが崩壊のあとに生まれた再起のサービスだったことを深く解説します。

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歴史

Jmailの歴史

Jmailが生まれた背景と、その後の歩みを記録します。

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謝罪

ごめんなさい

Jmailを使ってくださった皆さまへの謝罪文です。

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