ひとつのメールサービスが、
生まれ、広がり、
そして記憶になった。

Jmailの歴史は、単純な成功年表ではありません。 そこには、日本の初期インターネット、起業の熱、事業の崩壊、 再起の試み、利用者の信頼、そして守りきれなかった責任があります。

この年表は、Jmailを美化するためではなく、 何が起きたのかを静かに残すためのものです。

Jmailは、余裕の中から生まれたサービスではありません。

Jmailは、会社が順調で、資金が十分にあり、未来が見えていた時に生まれたサービスではありません。 むしろ逆でした。 事業が追い込まれ、仲間が離れ、資金が細り、次の一手を探すなかで生まれました。

だからこそ、Jmailには不思議な力がありました。 崩壊のあとに、それでも何かを作ろうとする力。 残された .co.jp ドメインを、ただの資産ではなく、 利用者が選べるメールアドレスの世界に変えようとする力。

Jmailは、灰の中から生まれました。
だから「Phoenix」でした。

1989年

日本へ

Bradley L. Bartz が日本へ渡り、日本での仕事、起業、インターネット事業へと進む長い物語が始まります。 Jmailはまだ存在していませんが、この時代の出会いと経験が、後のJmailにつながっていきます。

1990年代前半

BBSと検索、そして日本の初期インターネット

Internet Access Center K.K. は、BBS、ニュース、検索、企業向けネットワークなど、 日本の初期インターネットに関わる事業を進めていきました。 まだインターネットが一般家庭のものになる前の時代です。

1990年代中頃

商用インターネットの成長と摩擦

ダイヤルアップ接続、PPP、企業向けサービス、メディア掲載などによって事業は注目を集めました。 一方で、制度、業界団体、契約、資金、競合との摩擦も大きくなりました。

崩壊の時期

最初の事業が崩れていく

最初のインターネット事業は、複数の圧力によって厳しい状況へ追い込まれていきました。 売上、信用、人材、設備、契約。 いくつものものが同時に失われていきました。

残されたもの

.co.jp ドメインという可能性

事業が崩れたあとにも、数多くの .co.jp ドメインが残りました。 japan.co.jp、hollywood.co.jp、yokozuna.co.jp など、 それぞれが言葉であり、看板であり、未来の使い道を待つ住所でした。

1998年 春

Jmailの構想

残されたドメインを活かし、利用者が好きなドメインでメールアドレスを作れる 無料ウェブメールサービスの構想が生まれました。 メールアドレスを、単なる連絡先ではなく自己表現にする発想でした。

1998年 春

日本語メールへの挑戦

Jmailを日本で使えるサービスにするためには、日本語を正しく扱う必要がありました。 文字化けを防ぎ、ブラウザ上で日本語のメールを読み書きできるようにすることは、 当時の重要な技術課題でした。

1998年5月

Jmail開始

Jmailは、無料のバイリンガル・ウェブメールサービスとして始まりました。 最初は小さな出発でしたが、複数の .co.jp ドメインから選べる楽しさが、 利用者に伝わっていきました。

開始直後

口コミと記事

Jmailは広告だけで広がったわけではありません。 面白いメールアドレスを作った人が誰かに見せる。 「それ、どこで作ったの?」という会話が生まれる。 その小さな連鎖が、Jmailを広げました。

成長期

利用者が増える

利用者が増えたことは、大きな喜びでした。 同時に、無料メールサービスにとって成長は重さでもありました。 メールボックス、サーバー、問い合わせ、運用、資金。 すべての負荷が増えていきました。

成長の裏側

守り続ける難しさ

サービスは、作ることより守り続けることのほうが難しい場合があります。 Jmailは多くの方に使っていただきました。 しかし、その信頼を最後まで十分に守りきる運営力が足りませんでした。

その後

説明不足と別れ

Jmailを使ってくださった方々に、十分な説明、移行の時間、最後の案内を届けることができませんでした。 そのことは、現在のJmail.co.jpが最初に謝罪を置く理由です。

現在

Jmail.co.jpを記憶と謝罪の場所へ

現在のJmail.co.jpは、メールサービスではありません。 旧アカウントにログインする場所でもありません。 ここは、かつてJmailを使ってくださった皆さまへの謝罪と記録のための場所です。

数字だけでは、Jmailの本当の姿は残りません。

年表は便利です。 いつ何が起きたのかを、短く整理できます。 しかし、Jmailの本当の歴史は、日付だけではありません。

はじめて作ったメールアドレス。 友人に教えた時の少し得意な気持ち。 届くはずのメールを待った夜。 文字化けして読めなかった文面。 保存していたはずのメール。 いつの間にか使えなくなった住所。

そうした記憶は、会社の資料や事業年表には残りにくいものです。 でも、メールサービスの本当の歴史は、そこにあります。

Jmailの歴史は、作った側だけのものではありません。
使ってくださった皆さまの時間の中にもあります。

ごめんなさい。

Jmailの歴史を並べると、どうしても起業の勢いやサービスの面白さが見えてきます。 しかし、その奥には、利用者の皆さまに対する責任があります。

Jmailを選び、使い、信頼してくださった皆さまに、 最後まで十分な説明と安心を届けられなかったこと。

そのことを、心からお詫びします。

Bradley L. Bartz Jmail.co.jp 創業者 Internet Access Center K.K.

詳しく読む

Jmailの歴史

崩壊のあとに生まれたJmail Phoenixの物語を、より長い文章で記録します。

歴史を読む

仕組み

Jmailとは

Jmailがどのようなメールサービスだったのかを説明します。

Jmailとは

住所

ドメイン

メールアドレスを自己表現に変えた .co.jp ドメインの考え方を記録します。

読む

この年表の背景にある本

Jmailの物語は、『Japan.co.jp — Hardhat Required』に記録されています。

本の第16章は、「The Jmail Phoenix」です。 Jmailがどのように生まれ、なぜフェニックスとして語られるのか。 その背景には、日本の初期インターネット事業、失敗、再起、そして責任があります。

Jmail.co.jpは、その歴史を誇るだけでなく、 まず利用者の皆さまに謝罪し、そのうえで記録を残すための場所です。

起業の物語を読む
Bradley Lawrence Bartz 著『Japan.co.jp — Hardhat Required』表紙